【公認スポーツ栄養士インタビュー・尾出翔子】公務員からBリーグ管理栄養士へ(前編)

今回は、東京医療保健大学女子バスケ部主将を経験し筑波大学大学院、公務員を経てBリーグの管理栄養士に転身。現在は公認スポーツ栄養士として様々な競技のオリンピック選手をサポートされている尾出翔子さんにスポーツ栄養士としてのキャリアや栄養サポートについてインタビューしました。

――バスケットボールを始めたきっかけはなんですか?

きっかけは小4の頃、161cmくらいと周りと比べて背が高かったので同級生に誘われて始めました。スラムダンク世代で、5個上の兄とテレビでアニメをよく観ていたり、自宅の和室に簡易のバスケットゴールがあって一緒に遊んだりしていたので、もともとバスケには興味がありました。

中学時代のプレースタイルはだいぶ鍛えられたパワープレイです。ミニバスも中学もチームの中で身長が高い方だったので、ポジションは4.5番を任されていました。ただ、県レベルの対戦相手にいつもパワーで負けていて、中学校時代は3年間ずっと下半身強化とパワープレイの繰り返しでたくさん怒られながら鍛えられていた思い出があります。中学3年間で10kg体重が増えて一気に太ももが太くなりました(笑)

バスケットに魅力を感じる瞬間は、アウトサイドシュートが決まったときが「やっぱりバスケットボール楽しいな」と感じる瞬間ですかね。もちろん自分が強化したインサイドプレイが成功したときもすごく楽しさを感じます。やっぱり試合に出てコートを走り回ってシュートを気持ちよく決められる…そんな場面を味わってしまうとバスケットボールって楽しいなと魅力を感じますね。

――東京医療保健大学に進学を決めた理由は何ですか?

もともと管理栄養士を目指していて、将来的な学歴としても大学一択で考えていました。栄養学科のある大学を探していたら女子大ばかりで。「いろいろ考えると共学がいいな~」と考えていたところに、新設の大学で東京医療保健大学を見つけて、たしか指定校推薦もAO入試もあって何度かチャレンジできそうだったので、東京医療保健大学に決めました。なんとか2回目の推薦入試で合格しました。

入試が終わった後に、バスケ部への入部が決まっている千葉県の強豪校の同級生とSNSで知り合って、一緒に練習に参加させてもらって入部を決めました。

練習に参加したら恩塚さん(バスケ部HC)が快く受け入れてくれたのも大きかった気がします!この時、中学時代に強化したパワープレイが恩塚さんのなかでヒットしたようです(笑)

――当時まだ関東2部にいた東京医療保健大学のバスケ部主将として印象的なエピソードはありますか?

朝練の文化を作ったことが一番かなと思います。とにかく戦う強豪校と自分の大学を比べて何が足りないか、どんなことを導入したら強くなれるかを常に模索しながらそれをどう伝えたら部員の心に響くかを常に意識していたかなと思います。

——具体的にどんな点が他大学と比べて不足していると感じていましたか。

強豪大学と戦う度にシュートの決定力に差があるな~と感じていて、スポーツが盛んな他大学と比べると自由に体育館を使えたりするわけじゃなく朝練もなく、圧倒的に「シュート練や個人技練の時間が足りないな~」と思っていました。口だけでは部員は動かないのでまずは自分が体育館に行こう!と朝練を始めました。

朝練を自ら行動するためだけに大学の近くでひとり暮らしを始めたようなもんですよ(笑)母に内緒で勝手に物件を探してきてその後母に報告・相談しました。さすがに母からは初め怒られましたね(笑)

最初は同級生と私の2人でしたがだんだん部員に浸透していき、最終的にはリーグ戦の試合当日の試合前も試合後も体育館でシュートを打つ部員が現れるようになって、その光景には感動しました。

——部則も積極的に作られていたとか。

出来たばかりの新しい大学でバスケ部も出来たばかりだったこともあり、当時は自分たちの試合会場での立ち振る舞い、他チームからの見え方などで気になることも多々ありました。強豪校と比べて恥ずかしくなることもあったので、同期たちと話し合って勝つチームになるための部則を作っていった感じですね。

――体育館の隅に炊飯器をセットしてご飯を炊いておいて練習後すぐにおにぎりを食べるなどスポーツ栄養の文化も作っていましたよね

スポーツ栄養の文化は恩塚さんから背中を押されたのが大きくて、初めてチームに対して栄養セミナーみたいなことをして、それを機にもっとできることは…って考えた結果、「トレーニングに合わせた補食の導入」となった気がします。本当はすぐにでも寮とかバスケ部専用の食堂を作りたかったけど、なかなかね…。

当時からスポーツ栄養の取り組みは意識していたけど、まだ全然浅はかだったな~と感じています。取り組んでいたこととしては、ハーフタイムにエネルギー源を入れることくらいですかね(笑)

――チームMTGでも時には厳しく、時には心が熱くなるような言葉を投げかけていて仲間を鼓舞する姿が印象的でした。当時は1個下の私たちの代が迷惑かけまくっていました。すみませんでした。

とんでもない!後輩に私たちは助けられてたからね。チームのためにって思って、心を鬼にして頑張った記憶はある!(笑)本当はあまり怒るタイプではないからさ(笑)

――スポーツ栄養の道へ進んだ理由は何ですか?

母が管理栄養士だったので興味があり、自分がずっとスポーツをしていたので「スポーツ分野でも携われる仕事って何かな?」と思ったときに、ちょうどスポーツ栄養士という仕事が日本で出始めたタイミングだったので目指そうと思いました。中学生の頃からスポーツ栄養士になりたいと決めていました。

――大学を卒業後、公務員になられましたが公務員を目指した理由は何ですか?

母が公務員で管理栄養士をしていて、その母の姿を小さい頃から見ていたのでなんとなく仕事のイメージがありました。

スポーツ栄養士になるにあたって、公務員なら管理栄養士としての経験が一番積めるかもしれないと思ったのと、資金面でずっと母に甘えていたので、スポーツ栄養士になるにあたっては、自分で稼いだお金で頑張らないとと思ったので、まずは公務員!という一択でした。

ただ、大学のリーグ戦と公務員試験が重なっていたことや、管理栄養士国家試験の合格も危うかったことから、卒業してすぐの就職の道をあきらめ、まずはバスケ部キャプテンとして最後まで任務を全うすること、その後、管理栄養士国家試験合格に向けて勉強に励むことに絞り、就職浪人を1年経て翌年に無事に公務員として働き始めました。

この決断に至ったのも偉大な母の一言が決め手です。母子家庭でずっと育ててくれた母に迷惑かけたくないと思い、一応スポーツクラブの内定はもらっていましたが、母から「長い人生のたった1年を興味のないところに就職して苦労するか、もしくはその1年を大事にして勉強に費やして公務員を目指すか、お母さん的には人生のたった1年くらい就職浪人でも全然良いと思う。その方がその後に良い影響がある気がする。」と言ってくれたことが、大きなパワーとなった気がしています。

――公務員時代は具体的にどのような業務にあたっていましたか。

最初の3年間は区の保健福祉センターに配属になり、妊産婦・乳幼児から高齢者までの幅広い世代の地域住民を対象に健康教室や栄養相談などを管理栄養士の立場で行っていました。

特に常勤の管理栄養士は区に1人配置なので、新人なのに管理栄養士1人でかなり苦労した記憶はあります。ただとてもいい経験ができました。

4年目以降は、本庁業務として各区の事業のとりまとめや予算確保のための資料作成、運動指導などを行っていました。辞める直前の配属は保健所で、新型コロナの電話対応をしていました。

――公務員としての業務で得たことは何ですか?

一番は目の前の相手に寄り添うことしっかり傾聴して相手に合わせたアドバイスをすること、それらの技術が身についたなと感じています。

そのためには管理栄養士としての知識がたくさん必要で、常に勉強していた記憶があります。健康教室や栄養相談中に市民から難しい質問をされて答えられなかったことも何度もありましたが、見栄をはらず素直に「勉強不足で申し訳ありません。次回お答えしますね。」と返答し、その後お会いした際に調べた正確な情報をお伝えしたことで、参加者から信頼を得られたという経験もありました。

――公務員として籍を置きながら筑波大学大学院へ進学されましたがなぜ大学院へ進学しようと思ったのですか。

新人の頃、市民からの質問に対しすぐに答えられない悔しさもあり、その頃から大学院で学びたい意欲は強くなっていったと感じています。

また、アスリートに栄養サポートをする中で自分から引き出せる知識が少なかったことと、公務員の仕事においても事業予算を確保するうえでの研究視点の知識が乏しかったと感じたタイミングがありました。また直属の上司に尊敬できる男性の保健師がいて、その方が社会人で大学院に進学しておりその話を聞いていたため、私もその人のようになりたいと憧れたことがきっかけです。

修士論文は健康づくりの分野で、「住民主導型減量支援プログラムにおけるPAIREMを用いたプロセスと成果の体系的な評価」という研究をしていました。

例えば特定検診の結果、肥満傾向にあった地域住民に対して、行政(保健センターで働く保健師や管理栄養士などの専門職)が減量教室を実施するのが一般的かと思いますが、専門職の負担が大きいことから筑波大学では「住民ボランティアが主体となって実施する減量支援援プログラム」を30年以上研究しています。

その減量支援プログラムが他の市町村でも実施することが可能かどうかを評価したのが、わたしの修士論文の内容です。私は土浦市健康増進課の保健師、管理栄養士の協力を得ながら研究させてもらいました。

スポーツ栄養の学会発表では、「男子高校生バスケットボール選手を対象としたインシーズンにおけるスポーツ栄養マネジメント―除脂肪体重の増加ならびに維持を目的に―」という内容で発表しました。

高校男子バスケ部の栄養サポートでは、監督やトレーナーから依頼のあった主力選手5名程度を対象に、毎日の食事内容を確認(スポーツ栄養ナビシステムを利用し選手に対して毎日評価を行った。)し、チームトレーナーが定期的に行う体組成の変化と合わせて、食事のアドバイスを行っていました。

――栄養サポートの結果、除脂肪体重にどのような成果がありましたか?

毎日体重が減らないように、試合期間でも体重が減らないように意識して必要な食事量を摂ることで、早い選手で3か月継続時点で除脂肪体重が増加し、過去に試合期の体重減少からコンディション不良を経験した選手でも体重維持に繋がっていたので、選手の取り組みから改めて食事の重要性を再確認できました。

また精神的にも弱さがあったセンターの選手は、食事の改善で体重が増加し練習の質も改善、技術も向上したことで自信をもって留学生相手に戦えるようになっていてその姿も印象的でした。

チームの中で食事改善によりプレイ的にも成長した選手が1人でもいるとチームに良い流れが浸透し、サポートしていなかった寮生の選手も安価に必要な食事量を摂るために自ら考えて自炊を始めている様子もあり素晴らしかったと思います。

後編へ続く。


写真:尾出翔子さん提供

尾出 翔子(Ode Shoko )

1989年生まれ。千葉県出身。公認スポーツ栄養士。東京医療保健大学女子バスケ部主将としてチームを勝つチームへ変化させる。卒業後は公務員として勤務。コロナ禍にBリーグのチームから公認スポーツ栄養士の募集があったことをきっかけに安定した公務員を退職。Bリーグの公認スポーツ栄養士へ転身する現在は専門学校の職員として働きながら国立スポーツ科学センターの委嘱職員として様々な競技のオリンピック選手の栄養サポートをしている。

サポート経歴
チームサポート)
バスケ、体操、バドミントン、ウエイトリフティング、フェンシング,カーリング

個人)
バスケ、競輪、サッカー、グランドホッケー、フェンシング、競泳、バドミントン、パラアルペン、スノーボード、陸上やり投げ

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この記事を書いた人

田村未来 田村未来 サイト運営者

田村未来
AND ONE NUTRITION代表/東京医療保健大学/山梨QB/元バスケ選手の管理栄養士/スポーツ栄養士/当サイトの管理人

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